「子どもと2人暮らしをはじめたシンパパが、大事にしていた想い」

 

「一番大好きなのは、お父さん~」

離婚後、幼い娘と古い団地を借りて

2人暮らしを始めた頃の記憶を思い出しながら、

このブログを書いてます。

 

はじめまして! 「レオっち」と申します。

 

20代前半で結婚し、娘が生まれてから

幸せな日々を過ごしていたのですが、妻が

外でパートに出てから関係がギクシャクし始め

離婚に至ったのです。

 

幼い娘は、まだ3歳にもなっておらず、

親権についての話し合いもそんなには

争うこともなく、僕が養育することが決定。

 

近くに実家がありましたが、母は再婚相手がいて

僕とは義理の息子にあたります。

義理の父とは全く、合わない関係。

 

結婚生活時代に住んでいた団地を引き払うことに

なってすぐに、違う団地を申し込みました。

 

その間、実家でお世話になっていた期間は

3ヶ月くらいでした。もともと、義理の父親との

相性も悪くほとんど会話することもなかったです。

 

離婚後、2ヶ月ほど経ってから新しい団地に

入居できるようになりました。

仕事から帰ってきて、娘と暮らすために

いろいろと準備したり、用意して

2人で暮らすための家を整えてました。

 

実家を出ることが決まり、娘と新しい生活へ。

ご飯支度もそんなにできる訳でもなく、

不安ながらも娘との2人暮らしが始まりました。

 

離婚前から娘は保育所に通っていたのですが、

離婚後もそのまま通うことにしました。

 

仕事を終え、娘を保育所まで迎えに行き

慣れない家事に頑張っていました。

ご飯も娘ひとりでは食べられませんでした。

食事後は、お風呂に入れ絵本を読み聞かせてから

疲れて一緒に寝ていたこともありました。

 

途中、目が覚めることもあり次の日の準備。

保育所の先生との連絡帳への記入や

次の日の着る服の用意などなど。

 

休みの日は、献立をある程度考えて

買い物に出掛けていました。

 

幼い娘に寂しい思いをさせないように、

できるだけ一緒に過ごせるようにしてました。

 

休みの日は、近所の公園に行ったり

いろいろな行事へとお出かけするように

していました。

 

娘は母親と別れてから、1度だって

お母さんに会いたい!と言ったことは

ありませんでした。

 

小さいながらも、分かっていたのかは

聞いたことはありませんでしたが、

会いたいと言われていたら辛かったと思います。

 

そんな生活をしていて娘に聞いたのです。

「一番好きな人は?」

 

「お父さん~」と元気に答えてくれる娘に

何度も勇気をもらいました。

 

まだ母親恋しいはずの幼い娘が不憫であり

可哀想なことをしたと思っていたのです。

特に僕の母親が孫である娘のことをよく

「可哀想」だと言ってましたね。

 

僕は母にたいして「可哀想だと言わないでほしい」と

言われる度に言ってました。

 

可哀想って言われると、本当に可哀想な子どもに

なるような気がしたからです。

 

母親がいなくても、父である僕とばあちゃんの

愛情をたくさん受けて育っていると

思っていたからです。

 

それに自分にも負けたくなかった。

父親に育てられたから、だらしないとか

常識がないとか、他人様に思われたくなかった。

 

僕自身も離婚のキズが癒えていませんでしたが、

それよりも大切な娘の幸せを第一に思い、

行動していました。

 

親としても半人前以下であり、

見よう見まねで食事の用意をしたり

毎日が慌ただしく過ぎていきました。

 

どうしたら娘を幸せにできるだろうか?と

日々、思っていましたね。

 

両親が仲良くって、家族という安心できる

環境で子育てをしてあげたかったです。

 

子どもにとっては、片親にしてしまったことへの

罪悪感と現実的に父親だけになってしまったこと。

 

でも、自分が決めた道をまっすぐに

進むしかありませんでした。

 

世の中ではシングルで頑張っている人達も

多くいて、たくさんの悩みや葛藤の中で

子育てをしているはずです。

 

子育てに悩んでいる人達の助けになれて

役立つようなブログになれたら嬉しいです。

今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

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